【京都てらなび】日蓮宗 妙法山 燈明寺(とうみょうじ)
燈明寺 は日蓮宗の寺院で山号は妙法山。本尊は十界大曼荼羅 。1558年(永禄元年)創建。
立本寺の旧末寺である。日経が開基となり、日像の「七口之塔」奉安のため建立しようとした。しかし新寺建立禁止だったため、1536年に焼失した學養寺を称した。後に、後陽成天皇が一日に百燈の供養を命じたことから、今の寺号に改められたという。
日経(にちきょう、1394-1411)
一意院日経。本圀寺6世。日傳の弟子。15歳で大僧都となり17歳で没する。
1409年、日傳の後を継ぎ、15歳で本圀寺6世となる。「至尊児貫首」と呼ばれる。
1411年、没する。
日経(にちきょう、生没年不詳)
善住院日経。立本寺10世。
1533年、妙清寺(みょうせいじ、愛媛県、当初は妙仙寺)開山。
1558年、燈明寺(とうみょうじ、京都府、当初は學養寺)開山。
日経 (にっきょう、1551-1620)
常楽院日経。本興寺27世を経て妙満寺27世。
1597年、方墳寺(ほうふんじ、千葉県)開山。
1599年、妙満寺27世となる。
1608年、「慶長法難」で投獄される。
1609年、出師6人とともに六条河原で耳鼻を削がれる。
その後も各地で布教を続け、富山に没する。
日像(にちぞう、1269-1342)
日像は1294年ごろから、北野天満宮の参拝者に対して法華経の教え「十如」を説いていたという。
四条櫛笥(四条大宮の西南)を中心に活動していたことから四条門流の祖とされ、後の1321年に後醍醐天皇から寺領を与えられ妙顕寺を建立している。
最近の出来事
2016年、第50世永岡淳英師から第51世永岡淳道師への法灯継承式を行った。