【京都てらなび】日蓮宗 具足山 教法院(きょうぼういん)
教法院 は日蓮宗、立本寺の塔頭寺院。本尊は十界大曼荼羅 。1505年(永正2年)、本住院日虞(にちぐ)により創建され、1871年(明治4年)に同塔頭の勧持院と合併されている。
本堂には、「伏見宮貞致親王 第二之姫宮 常子公之大母」(ふしみのみや さだゆきしんのうのひめ)や、石田三成に仕えた戦国武将 「島左近」(しまさこん)が祀られている。
石田三成に仕えた戦国武将 島左近 (しまさこん、1540-1600)
近年の研究成果では、嶋清興(しま きよおき)が実名とされる。石田三成の軍師として有名で、関ヶ原で討ち死にしたとされるが遺骸は見つかっていない。
京都市の立本寺教法院には清興の墓があり、関ヶ原の戦い後、逃れてこの寺の僧として、32年後に死去したと伝えられている。教法院に位牌や過去帳が残され、寛永9年(1632年)6月26日没と記されているという。
この他にも左近が関ヶ原を落ち延びた伝説と共に、墓所が各地にある。
最近の出来事
1993年(平成5年)に伽藍を再整備している。
2004年、第62世住職三木随法(2002年寂)の遺志をついで、インド・ブダガヤに「インドブッダガヤ ズイホウ小学校」を開校する。前住職は、インドで修行するブッダの命を救った娘スジャータを仏教の恩人として感謝し、恩返しを願っていたという。
2016年、現住職三木天道がイラスト(仏画)をそえる御朱印「写仏ご首題」が評判となる。