【京都てらなび】時宗 鶴林山 宝福寺(ほうふくじ)

中古京師内外地図全

中古京師内外地図全(国際日本文化研究センター)

宝福寺は733(天平5)年に行基が鳥部野(とりべの、鳥辺野、昔の鳥葬の地)に開いた寺院(鳥辺野道場、阿弥陀堂)を元とする。南北朝時代(1336-1392)に時宗寺院となった。親恋地蔵には縁結びの御利益があるという。

1912年に地蔵堂として再建するも戦後に荒廃し1974年に建物が処分された。
2018年に長楽寺前住職の牧野素山が再建した。

長楽寺と宝福寺

長楽寺と宝福寺(中古京師内外地図全~日文研)

宝福寺の地蔵菩薩

親恋地蔵(南無地蔵)は縁結びに御利益があるとして長く信仰を集めた。戦後に荒廃し建物が処分されたのちは、黄台山長楽寺に預けられていた。

宝福寺と六十六部

六十六部は、国内を流浪した遊行の回国聖(かいこくひじり)。法華経を66回書写して、一部ずつを66か所の霊場に納めて歩いた。江戸時代、故郷で罪を犯して滅罪のために六十六部(巡礼者)となったものもあった。京都鳥辺野の宝福寺は六部墓を備えていたという。(平凡社 世界大百科事典)

行基 (ぎょうき、668-749)

東大寺の四聖のひとり。日本最初の大僧正として、聖武天皇により奈良の大仏建立と責任者として招聘された。日本各地で貧民救済や治水・橋造営・墾田開発など社会事業を行っており、多くの寺院の開基でもある(続日本紀で40余処とある)。

730年頃までは、民衆の信頼を集めるその活動が反政府的とみなされ弾圧を受けた。

738年、灌漑事業など社会貢献が権力者に好ましく捉えられ、朝廷は「行基大徳」の諡号を授与。

740年に聖武天皇から大仏建立を依頼され造営の勧進(資金集め)を行い大きな成果をあげる。

745年、朝廷は大僧正の地位を授ける。

京都市にあった他の行基開基寺院
  • 法禅院(檜尾寺)(京都府京都市伏見区深草鞍ヶ谷町付近)
  • 河原院(京都府京都市)
  • 大井院(京都府京都市右京区)
  • 吉田院(京都府京都市左京区吉田神楽岡町)
  • 泉福院、布施院、布施尼院(京都府京都市伏見区)

参考)「行基菩薩千二百五十年御恩忌記念誌」 「行基事典」

最近の出来事

1912年、地蔵堂を再建。
1974年、荒廃した建物を処分。
1999年、牧野素山(長楽寺前住職)が宿坊「遊行庵」を開業する。
2018年、牧野素山住職により本堂再建される。6月より常住の予定。

【名称】宝福寺(ほうふくじ)
【住所】 京都市東山区東大路通五条上ル
【電話番号】*