【京都てらなび】光勝山 空也寺(くうやでら)

空也寺の扁額(へんがく)

空也寺 は中京区の空也堂(天台)、東山区の六波羅蜜寺(真言)と並んで、訪れておきたい空也ゆかりの浄土宗寺院。

浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀三尊。本堂には開山・開基である空也上人像を安置する。山号は、比叡山での空也の受戒号「光勝」にちなみ光勝山(こうしょうざん)という。

平安時代の972年、錦小路西洞院の地に空也上人が開創したとされる。開基当初は天台宗に属した。

室町時代以降(天正年間1573-1593)に、敬蓮社見誉(空也寺6世)により中興され浄土宗に改宗した。(山州名跡誌)。

1591年に豊臣秀吉の都市改造により現在地に移転。その後は1788年の天命の大火など困難に遭いつつも、その度に再建・復興を遂げ現在に至る。

2000年、現本堂の落慶を記念として新たに十一面観音立像を祀るなど、変わらず篤い信仰をあつめている。

空也(903~972)

市聖(いちのひじり)、阿弥陀聖と呼ばれた平安中期の民間念仏僧。948年比叡山に上山、天台座主延昌のもと受戒し光勝の名を与えられたが沙弥名である空也をとおした。時宗の祖である一遍は空也を踊り念仏の始祖と仰いだ。空也入寂の地に建つ六波羅蜜寺(空也創建の西光寺、没後改称し天台、のちに真言)に口から六体の阿弥陀仏像を出す空也像(康勝作、国重要文化財)が伝来する。

空也寺
空也寺

空也寺-京大絵図1686年

京都市中で念仏を行う間(938年以降)に建立した御堂のひとつ(櫛笥道場や市中道場)が前身とされる。(同様に939年に建立されたという空也堂が時宗本山を経て現在天台宗寺院としてある。)浄土宗寺院である空也寺は江戸時代に京極門中の一寺院として知恩院六役を勤めるなど大きな影響力を持っていた。

空也上人が十一面観音を台車にのせて念仏を唱えつつ洛中を廻ったことから、十一面観音立像をまつる。

念仏踊り(踊念仏とも)

太鼓・鉦(かね)・瓢箪・鉢などを打ち鳴らし、節をつけて念仏や和讃(わさん)を唱えながら踊ること。

中世に空也を祖とする「鉢叩(はちたたき)」の集団があり、中世に鉢を叩き、念仏を唱えて市中を巡っていた。その際に踊りを行ったかは定かではないが、時宗の一遍は空也を踊念仏の祖としていた。

888年頃より、讃岐の牛頭天王社(現在の滝宮神社)で民衆が躍る雨乞いと五穀豊穣を願う祭りがあった。1207年に法然が讃岐に流された際、その踊りに新たに振付をして念仏を唱えさせたという。以後、「滝宮念仏踊り」として今に残っている。

1299年には『一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)』に念仏踊りの様子が描かれている。この頃、時宗の布教ともに全国に広がったと思われる。空也や一遍の念仏踊りは、その宗教性から民俗舞踊・芸能とは区別して「踊念仏」とも称される。

京都では、嵯峨(さが)や壬生(みぶ)の大念仏が有名。中京区にある紫雲山極楽院光勝寺・空也堂(天台宗)では、毎年11月の空也忌に歓喜踊躍(かんぎゆやく)念仏踊と六斎念仏が奉納される。

浄土宗 空也寺

【名称】 空也寺(くうやでら)
【住所】 下京区寺町通仏光寺下る東側恵美須之町539
【電話番号】 075-351-1857
【FAX】 075-351-1866